2011年3月11日。
もう6年前になるんですね。
あの日と、そこから暫くの日常については忘れることができません。


これはその当時のことを思い出しながら書いた私の体験記録です。




2011年、私はまだ北関東の実家にいました。 



あの日は職場にいたんですよね。
新しい仕事を始めたばかりで、慣れようと必死になっていたところでした。 
上手くできるかなという不安はありましたが、新しい環境にワクワクしていたと思います。



そんな中で、私は被災しました。



今までに体験したことのない揺れ。
正直怖かったです。
それでも、建物が丈夫なのか、地盤が良かったのか分かりませんが、物が落ちたり額縁がズレたりする程度で職場はそこまで大きな被害はありませんでした。
結局最後まで仕事を終わらせて、夕方帰宅しました。


1
停電で信号機もぜーんぶ機能しておらず、ちゃんと帰れるか不安だったけど。


帰宅してみると、家族も大体揃ってました。
母、弟1、祖父…父はどうだったっけな。
仕事だった筈ですがその日に帰って来たんだか、夜勤で次の日だったんだか…まぁ、無事でしたが。
 

で、母は仕事で運転中(それでも分かる程の大きさ)
弟はモールで買い物中(モールの避難誘導にちょっとわくわくしたらしい)
祖父は家で大地震に遭うというバラバラ具合


弟2は都会で一人暮らししていたのですが、その日のうちに連絡付きました。
彼も無事でした。 


ちなみに実家の被害
●家の瓦の一部が落ちて母の車のガラスを直撃し割れる
●屋内の壁にヒビが入る
●仏壇が倒れる

誰も怪我無く、これだけで済んだのは不幸中の幸い。


2
強いて言うなら、他の部分で修理出したばかりの車に瓦が直撃されて嘆いていた母が一番の被害者。
(被災時運転してたのは職場の車)



普段、電気ポットで水道水沸かすと薬臭かったので家には水とお茶のボトルも常備されていました。
お風呂には昨日のお湯が入れっぱなしだったのでトイレなんかも問題なし。
食料も祖父が買ってたカップ麺を始め、米や野菜もあったので大丈夫でした。


ただ、来ない電気はどうにもならない。


当時付き合っていた今の旦那に無事であることだけメールを出し、回線混雑防止とバッテリー消費防止の為にそれ以外は携帯の電源を落としていました。
電池も無かったですしね。



ガスは来てたんだったかな?
湯たんぽ作ってこたつに放り込み、水のペットボトルに懐中電灯を当てて明かりにしていました。

3
弟がこれに気付いてランプ代わりにしてました

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当時の写真。
丸いのは大根に楊枝がついた蝋燭を指したもの。
(揺れても倒れにくい)



最近話題になってた方法ですね。



「キャンプみたいだね」って、家族でこの暗闇を少しだけ楽しみつつ。



テレビも無い、ネットも無い、ラジオも無しの真っ暗な一夜を過ごしました。
そんな訳で当時私の家族には周囲で何が起きているのか、ちっとも分からなかったのです。  






次の日見たのは全てが津波で流された写真が一面に載っている新聞。



4
頭真っ白になった。



なにこれどういうこと?
津波?
津波でこんな風になるの?


同じ国なのか、疑いましたよね。
どういうことなんだろうって。



電気は相変わらず来ない。
これといった情報は結局その新聞のみで、なんだか地震が来てそのまま時が止まったかのような気分になりました。




たまたま休みだったのだと思いますが、私はその日はずっと家の縁側で空を眺めていました。 
とにかく暫くは、仕事以外の時間はぼーっとして過ごしていたような気がします。




そこから1,2週間経った頃だったでしょうか。
ある人物が訪ねてきてくれます。




長くなってしまったので、続く
お昼に更新予定です。





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